断捨離(だんしゃり)考察

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●断捨離(だんしゃり)とは

断捨離(だんしゃり)の意味をざっくり言うと、自分と物の関係を洗い流し、物への執着から解き放たれると言う意味とのこと。2010年頃から話題になり始め、徐々にその言葉を聞く事が多くなってきました。断捨離(だんしゃり)の方法は様々ですが、大まかに言うと、「処分」すること。そりゃそうですよね、処分しないと物は減りません。近年セミナーや書籍など、断捨離への興味を示す人が増えてきました。そんな「断捨離」。はたして必要なのか!?
勝手に考察してみました。

なぜ流行った、断捨離(だんしゃり)??

最初にも書きましたが、断捨離(だんしゃり)の方法は大まかに言うと、「処分」すること。物への執着を解くためにまず物を捨てるというのはもっともな話です。しかし、そんな当たり前の事が出来ないので、セミナーに行く人が大勢います。思えば昔「捨てる技術」のような本が流行ったのも、同じような人が沢山いたからでしょう。かく言う自分もまったく物を捨てられない性分(泣)。まずは断捨離の根本、「なぜ捨てられないのか」と言う所から考えてみましょう。

まず思うのは「捨てなくても売れるんじゃないか」と言う心理が働くことが大きいでしょう。捨てるくらいなら少しでもお金に変えたい。その心理が働くからこそ、物を捨てられないのです。
そりゃそうだ、自分で価値を見出し、お金を払って買ったのに、その価値を自分で0にするんですもの。そんなこと出来るもんじゃありません。だからリサイクルショップに持って行こうとするのですが、なかなか面倒で行く暇がない。そうしているうちに、どんどん不用品が増え、窮屈な家になっていくのです。
ぶっちゃけて言うと、状態の良いなブランド品でもなければ大したお金になりません。わずかなお金を手にする事を考えて悩んだりするならいっそ捨ててしまった方が早いしすっきりします。悩んでいる時間を切り捨てるその「時間的価値」の方がお金よりもよっぽど価値のあるもの。そう思うことが出来れば、わざわざセミナー等に行かなくてもいいんです…。

…と、偉そうに書いてしまいましたが、その決断が出来ないから人はセミナーや業者に頼ってしまうのですよね。やはり根本に目を当てないといけません。次はそもそも「物への執着の切り離し」がなぜ必要なのか考えてみましょう。

物への執着の切り離しは紀元前から考えられてきました。仏教の開祖、釈迦は王族の身分を捨て、出家します。やがて多くの弟子たちが彼の元に集まりますが、その中にはお金持ちや権力者の姿も。彼らは、「お金や物はどこまで手に入れてもその欲望が増すばかりで、本当の幸せにはいつまで経っても近づけない」と悟ったからこそ、すべてを捨て出家と言う選択に出たのです。「どこまでいっても続く物への執着を捨てること」それが自分を自由にする近道であることは、「悟りの一つ」としてずいぶん前から考えられていたんですね。なんだか大きな話になりましたが、話を断捨離に戻しましょう。

断捨離。それは言葉を変えて語られただけで、ずっと昔から様々な宗教や、生活の知恵の中にあった「幸せへの教え」の焼き直しではないかと思います。その根本を理解しなくては、セミナーや業者に頼って一度物を処分したところで、また不要な物が増えて、同じことを繰り返していくことでしょう。それよりも仏教(日本で言う所の仏教では無く、ほんとに最初のブッダの人生)等を勉強した方が近道じゃないでしょうか。けっして、仏教とか、他の宗教を進めているわけではありません。「物への執着を断ち切る歴史の起源」がわかる例としてあえてあげています。

わかりやすいところで言えば「手塚治虫のブッダ」あたりを読んでみた方がよっぽど意識改革になる気がします。今回は気になる断捨離についての考察でした。
それにしても断捨離。なんだか言葉も「修行の一種」の様ですね(笑)【でんすけ】



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