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修二と彰とは
修二と彰は2005年から2006年にかけて活動していた、期間限定のジャニーズユニットです。結成に至ったきっかけは、日テレで放送されていたドラマである『野ブタ。をプロドゥース』でした。亀梨和也が演じていた桐谷修二と、山下智久が演じていた草野彰の二人です。ドラマは毎週のように高視聴率。2005年に発売された『青春アミーゴ』は、このドラマの主題歌であり、大ヒットを記録しました。今回はそんな修二と彰について超個人的意見を書いてみました。
■もう一度見たい 修二と彰
「ジャニーズメンバーとしての二人ではなく、キャラはあくまで「修二と彰」です。『青春アミーゴ』の歌詞中で強調される「二人で一つ」というフレーズが、私にとっては印象深く残っている部分です。物語の核心は、一言では表せない男同士の友情。それに相応しい切ない曲調と、シンプルだけれど想いの深い歌詞には、聴いているだけでじっと考えさせられてしまうものがありました。ですが私の個人的感覚として、最初に『青春アミーゴ』という曲名を聞いた時は正直なところ微妙でした。「え、青春?アミーゴ?どうなのソレ…?」といった感じに……。とは言っても、それはすぐに思い直すことになります。失礼にも笑ってしまった「青春」や「アミーゴ」などと言う単語には、修二と彰には不可欠のテーマが隠されていました。
古いと言うか懐かしいと言うか、どことなくレトロな風景をイメージさせるこの曲。それは歌詞にも表れていて、修二と彰の過去と現在を巧く伝えてくれています。どう思ったのか、何を感じたのか、音楽の歌詞というものは聴く人によって捉え方も様々です。そのうちの一つである私の捉え方について言えば、『青春アミーゴ』は二つのパターンに分かれていると気づきました。
AメロとBメロで語るのは、現在の二人についてです。「鳴り響いた携帯電話…」から始まる歌に、何が起こるのかと思わず惹き込まれてしまいますよね。
そしてもう一つ、深い気持ちで語られるサビ部分では、二人が過ごしてきた故郷での思い出を辿っています。昔を振り返るこの部分は、曲に哀愁を漂わせる大きな要因となっています。歌詞の冒頭でいきなり不穏な空気を漂わせ、それはおそらく片方の危機的状況を表しているのでしょう。何があったのかとハラハラさせられているうちに、曲はサビへと突入します。ここはもう、お馴染みですね。「俺達はいつでも、二人で一つだった」というフレーズ。
基本的に過去形の文章で表わされるサビ部分は、昔を懐かしむ二人の気持ちを感じ取ることができます。「思い出した景色は、旅立つ日の綺麗な空」という歌詞も、意味深な内容でひどく気になる所です。
「子供の頃はただただ毎日笑って、夢だけ追いかけていればそれで良かった。憧れのあの街に行きさえすれば、きっと何かが手に入る。そう信じていたのに……現実は全く違った。そんな甘いもんじゃなかった…」大人になってようやく気づき、彼らが思い出したのは子供だった「あの頃」。二人で楽しく過ごしながら、地元で見ていた懐かしい風景。旅立つ日に送り出してくれた、あの綺麗な空だった。これが私の考える、詩に隠された二人の気持ちです。上手くいかない現実に直面したとき、きっと多くの人が昔の思い出に浸ってしまうはずです。あの頃の自分はああだった、昔はこういう感情を持っていた、というように。もしかすると歌詞に込められた切なさは、過ぎてしまった二人の時間が原因だったのではないでしょうか。しかしまあ物凄く、思い込みの激しい見解ではありますが(爆)
青春とは文字通り「青い春」、つまりは元気一杯の若い時代です。疲れを知らず毎日バカをやって、それを共に経験する中で深まるアミーゴ。アミーゴはスペイン語で、「友情」を意味する言葉です。強い絆で結ばれた、男二人のあつい友情。短い歌詞に描かれた物語の中で、お互いを信じている二人の様子が目に浮かびます。修二と彰にとって、青春とは友情のことだったのかもしれません。友情という、目には見えない大切な何か。それを心の中で着実に育てていけたのは、修二からしてみれば彰が、彰からしてみれば修二がいたからです。ですからもっと極端な話にしてしまえば、お互いの存在そのものが青春の形だったとも言えるでしょう。
「二人で一つだった」がじんわりと心に残ってしまうのは、彼らにはお互いが切り離せない存在であるからです。 二人で一緒にいることによって初めて、過去を含めた自分という存在を確立できる。これは決してネガティブな意味の依存などではなく、支え合ってここまでやって来たという証しだと思います。いつまでも想い合えるというのは素敵なことです。ずっと変わらずにあり続けたいと願っても、なかなかそうもいかないのが現実です。それを打ち破った二人が織り成す物語だからこそ、沢山の人に愛される歌になったのではないでしょうか。
それともうひとつ。青春アミーゴの曲調はその前にヒットしたジャニーズの名曲「ファンタスティポ」に続く「熱い男路線のダンス歌謡曲」。堂本剛と国分太一の奇妙なダンスが話題を呼びました。この2曲はどこか共通点があり、ジャニーズは今後も忘れたころにこう言う曲を投入してくるでしょうね。
ここまで修二と彰について(かなり熱く)語ってきました。次は彼らのジャニーズ的一面である、ダンスについて見ていこうと思います。
■修二と彰 ダンスについて
修二と彰はあくまで修二と彰であり、ヤンチャな時代を共に過ごした親友同士の設定です。とは言えここは、ジャニーズの人気アイドルたる二人。熱い友情を語る、レトロな曲と切ない歌詞を際立たせているのが、彼らが魅せてくれる息の合ったダンスです。片方が歌っている時には片方が踊り、サビに入ると二人で同じ動きに入ります。ですからどちらが欠ける事もあってはなりません。この曲を仕上げるためには互いを補完し合い、一緒に同じ場所に立たなければならないのです。彼らの身のこなしは、とにかく線が細く綺麗です。綺麗であり格好良くもあり、あのダンスを踊ってみたいと憧れた人も多いはずです。
『青春アミーゴ』のダンスについては、かつて『ズームイン』という朝の情報番組で紹介された事がありました。日テレ時代の羽鳥アナが進行していたあの番組です。修二と彰こと亀梨和也と山下智久は、毎週VTRで登場しては番組を盛り上げていました。そんな彼らが視聴者に向け、直々に教えてくれたダンスの振り付けがあります。観ているだけでも凄いなあと実感しますが、実はあのダンスの中にも、『青春アミーゴ』の深い意味が込められていました。
修二と彰を語る上では欠かせない、「二人で一つ」に合わせたダンス。「Si 俺達はいつでも二人で一つだった」は、とてもドラマチックな部分ですよね。二人の友情を強調するためには、十秒程度の短い時間であっても気を引き締めていなければなりません。奥が深い手振りは、サビの最初の部分からやってきます。まずは「Si」のところで、人差し指と中指二本をくっつけた状態のまま額にかざします。次のステップに入るまでに腕に動作を付けつつ、「二人で」と言った瞬間、くっ付けていた二本の指をピースサインのようにパッと開きます。そこから再び額に手をかざしながら、「一つ」に合わせて人差し指を一本だけ立て、前方に腕を突き出してキメです。
分かるでしょうか。これは見事に計算し尽くされた振り付けです。人差し指と中指は、修二と彰を表しています。体全体の大きな振り付けに目がいきがちですが、彼らはたった二本の指を使って、「二人が一つになった」瞬間を表現していたのです。主役は二本の指。それを飾るのが、洗練されたジャニーズアイドルとしてのダンス。振付けの意味を知った時、思わず「ぉお…!!」と歓声を上げたくなりました。勿論、全体的なダンスもテンポが良くて目を楽しませてくれます。
腕の動作、足のステップ、キレのあるターン、それら全てに隙がありません。二人の呼吸もピッタリであり、それ自体が曲のイメージと重なっているため、観ていると高揚感を味わえます。そしてもう一つダンスの振り付けで印象的なのが、サビの最後である「旅立つ日の綺麗な空」のところです。「二人で一つ」のところはパッと見ただけでは分かりませんが、これは素人目にも容易にキャッチすることができます。グーサインのように親指を立て、二人で突き合わせながら頭上へと腕を持ち上げるあのシーン。何かを求めて追いかけているようにも見え、一方では何かを振り返り立ち止っているようにも見えます。二人が何を思い、共に天を仰いでいるのか。それを考えても、一つの答えにはたどり着けない事でしょう。希望、郷愁、困憊、憧憬……。空高く手を伸ばす動作には、そういった様々な感情を忍ばせているような気がします。
これもまた、私の勝手な想像ですが。彼らのダンスはとにかく凄いです。さすがはジャニーズのトップアイドルといったところでしょうか。そんな訳で『青春アミーゴ』は、聴いて楽しむだけでなく、観て楽しむ事もできる一曲だと思います。っと、今回もかなり熱くなってしまいました(爆)以上、憧れの「青春アミーゴダンス」考察でした。【わこ】